誰かが誰かに繋がるか?
演劇人同士でお酒を呑む場がある。
基本的には現在(いま)劇団で一緒に活動している人達だけのものだ。
酒が飲めなければいけない訳ではない。
が、稽古や公演以外で劇団関係者が集まる場となると食事や会議、別途作業と限られている中でコミニュケーションの場としては重要だと思います。
…仮に劇団を離れた者にとっても、こういう「打ち上げ」の場というは大事したいと思っています。
一緒に芝居してなきゃ、友達でも仲間でもない。
この心理はどちらがわにもあります。
でも大きく違うのは劇団とういう場で集まり、一時でも活動を共にした者同士、その後離れ離れになっても「声がけ(お誘い)」をする側は常に残っている劇団側にあるということ。
取り残されたのではなく、そこに残り発信し続ける側か、それを知っている離れたものが繋がり続けることをわかってくれているか?
その感覚のない人は年単位で「過去の人」と化して行くので。それはあまりにも寂しいし、そんな仲間集めを常にしている感覚に陥ってしまので。
昔、先代座長に言われた言葉…
「薄っぺらい絆の再生産」
わかっていますよ。
それでも、どれだけ永く、永く、永く継続して仲間たが一緒に活動してくれるか?それが貴重かつ、甘えになってはいけないと戒めになっている事も確かだと思っています。
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