感覚を研ぎ澄ませ。
こんばんは。土曜日は稽古でした。
新規の方も参加され、賑やかな稽古場でしたが、悠長に演っているわけにはいきません。
正直、合流した母体劇団の公演の演目やら配役やら、そしてその先に待っている公演の稽古やらが待った無しで控えている中のワークショップでした。
普段、参加しているメンバーの平均化を底上げする稽古の進め方をしている事から、メンバー内が仲良く、また団内も雰囲気良く活動できているのはある意味良いことなのですが、先日の発表公演の時にもアレコレ課題となった「パフォーマンス面」においては個人スキルが上がって来ないと面白さに欠けてしまうわけです。
要は、個人の「優劣」の付きづらい稽古ばかりをしていると、いざ公演の時にはキャスティングをするにしても、配置を計りづらいというのがあります。
そのために、配役前には実力テスト的な事を行うのです。
この日は皆エネルギー全開?でいつもとは違う威力のある稽古と呼んでいますが、かなりプレッシャーを受けながら、自らのスキルの弱さを思い知る形でワークショップをしたわけです。
説明をしてしまえば、至って簡単なものなのです。
が、いざ演ってみると、誰もが簡単にできないのが「俳優」というスキルなのです。
良く演出の立場から言う「非日常、非現実、非凡人」の内の非凡人というやつですね。
台詞を覚えて言うだけ、立つだけ、演じようとするだけなら、昨日、今日始めた「人」でも何とかなってしまうのです。
我々はアマチュア劇団でありますが、「俳優」と呼ばれる意味である種の「能力」を身に付けて舞台に立って欲しいという考えがあります。
シンプルな事でも簡単な事でも、教える側も教わる側も、物凄いエネルギーが掛かるのです。
そんな1日だった稽古の中で、参加しているメンバーたちは普段使わない感覚をすり減らし、研ぎ澄ませていた筈です。
これはこれで、終わった後は、皆、思い思いにこれからどうやって役者として舞台に立つべきか?
意識するようになるかと思います。
良い大人になって(成人を過ぎ)好きな事、やりたい事で人から優劣を付けれらのは嫌だと思う人も現在(いま)の時代多いと思います。
が、こんなちいさな劇団(母体劇団)でも皆、舞台を、芝居を意識して黙々と稽古活動をしている、そんな「演劇集団」とちゃんと言えると、改めて思います。
0コメント