舞台の昔話でも…

これは十年以上も前、とある小劇団へ客演していた頃の話。

当時はまだまだ若かった?私ですが、アクションにはいささか自信があり、知り合い伝てに転がり込んだ劇団Sという所がありまして、規模は極小の小劇場でしたが、アクション活劇を主としたまさに「私好み」の劇団でもありました。

知り合いが多かった事もあり、すんなり?客演する事4回ほど。
意外に小さな世界の小劇場でアクションをしたいと思っていても「それなり」のアクションをできる人が少ないという事から、(アクションにはセンスが重要)意外とその劇団でも重宝されまして、悪役ばかりでしたが、良いポジション(悪役)に置いてもらえていました。
西部劇やら、ロボット活劇やら戦隊ヒーロー、そして写真にあるように時代活劇とバライティに富んだ出演をしておりました。

手作りながらも衣装も小道具もそしてセットも自前で作るような劇団で、現在の私が行っている劇団の礎ともなっています。

そこにいた劇団メンバーたちも面白く、向上心のある者がたくさんいました。それぞれ役割をわかって協力的に劇団を盛り上げている事も好感を持てる劇団だったと言えます。

一つ残念だった事は集客力です。

小規模の劇団ですので制作だけの問題では無いにせよ役者や、劇団がお客が呼べなかったのが致命的でした。
漠然とではあっても、劇団を大きく、ゆくゆくはプロの集団にしたいと本気で考えている者もいた中で、集客を伸ばせず、規模の拡大が足踏みになってしまう、また同じ規模でもステージ数を増やす事が出来ないジレンマを抱えたまま時間(歳を取る)だけが無情にも過ぎていきました。

私が若かった頃、自劇団のメンバー達に「売り上げ云々よりも、招待券でも良いから友達(客)を呼べ」と口うるさく言ってきたのはこの劇団の影響が大きいです。

実際、私自身、当時から社会人劇団として活動してきて、小劇場で公演を打つ上で、全ステ最低総客200人をかかげ公演を打つ事によって、極小劇場から一つ、劇場の環境を良くできたのは確かです。
(最終的には500割る位まで集客を伸ばしたのが限界でしたが…)

ま、具体的に言えば、キャパ数、劇団の役者にとって一番大きかったのは楽屋があるか無いか?でしょうかね。(苦笑)

極小の劇場になると本番中で灯りが取れる(待機出来る)楽屋などありません。(私は「ソデ楽屋」と呼んでいる)

狭い舞台ソデで役者たちは待機し、早着替えやセットチェンジなど大変な思いをして舞台に立ち、お客様を相手に演じていました。

それでも当時は楽しかった!

チープに見えるお芝居かもしれませんが、狭い舞台端から端までいっぱい使って殺陣(たて)をしていた時は本気で主演を喰ってやろうと「ぶっ殺してやんぜー!」と無酸素運動状態でかなりの手数のアクションと芝居をこなしていました。(写真右)
いつの間にか無くなってしまった劇団は多くあり、今回の話の劇団もその一つです。
ほぼ8割以上の小劇団が「解散公演」と銘打って終(つい)をむかえる事が出来ず、「あの公演が最期の舞台だったなぁ」と自然消滅してしまう所が多いのが現実…。

すでに記憶とともに、色あせつつある私にあって、こうした経験や、想いを少しくらいは持ちつつ、劇団運営を続けられたらと思うばかりです。





劇団TESTS(テスト)東京東部演劇組織

「劇団TESTS(テスト)」です。 東京東部演劇組織 Tokyo East Side Theatrical Syndicate トウキョウ イーストサイド シアトリカル シンジケートの略称として「テスト」という名称で立ち上げました、社会人演劇集団です。 現在メンバー少数のため合同で活動しながらメンバー集めしています! 20221月に旗揚げ公演を無事やり遂げました! (≧∀≦)

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