【エッセイ】憧れと、その実感は後からやってくるモノ
これはこれから舞台に立ってみたいという方にも言えることかと思います。
舞台演劇をやってみたくて、その憧れから突き進み、舞台に立つと言う事。
若い頃、バイク好きが高じて、アメリカをバイクで走ってみたいという夢が叶った事があります。
アメリカのフラッグスタッフというところからモニュメントバレーという所を寄り道しながら往復しました。
3日で1600キロ(100マイル)を走行した形です。
先にも書きましたが、憧れてアメリカまで行きバイクで旅をするという事を叶えられて、さぞ満足だったかと言えば実は違います。
そこに至るにはいくつもハードルがあり、実際にアメリカに行くまでのプロセスも、そして現地でバイクをレンタルする事や、何より、現地を走る事そのものも気候が朝、夜は氷点下、昼間は一気に気温が上がるという日本とは一味も二味も違う中でのツーリングだったわけです。
実際現地で走っている時は弾丸ツーリングだった事もあり、その時はメチャメチャしんどかった…。
体調も崩し、途中天候が悪化し雪まで降って来るというアクシデントまであってのドタバタを通り越して苦痛を伴う修行みたいなツーリングでした。
憧れと、実際やってみるという事はむしろ面倒でしんどくて大変な事もあるのです。
これはまだ演劇をやった事の無い人が、憧れを持って華やかな舞台に立ってみたいというのと同じでは無いかと。
しかしながら大変だからこそ、誰かれ構わず出来る事では無いからこそ、その憧れを形にし、最後までやりきる事が出来るのです。
実際にアメリカに行く条件も、現地を1600CCのハーレーを転がす技量も、そしてなにより100マイルも悪天候で走り切るタフさもあったからこそ、「結果」がでて、それを大変だったとか苦痛だったとか言えるわけです。
その上で、アメリカにバイクで走れて良かった!
と、心から言える達成感が得られたと思うのです。
やる前からハードルがありすぎるのが演劇だったりしますが、私がアメリカでバイクを走らせ、みられない景色を堪能出来たのは決して誰しも出来る事で無いからこそ得られた「価値観」だと思うからです。
舞台の上から見えるわずかな景色もそれに近いモノだと思うのです。
憧れから得られずとも、苦労や苦境の延長線上に舞台の何かを得られる。
むしろ、それが本当にやりたい事につながる事と思えるのは、日本に帰ってきてから。
アメリカでバイクで疾走(はし)る事がどれだけ貴重で贅沢な事だったか気付いた事。
出会った者にはそんな舞台の価値観だけでも伝えて行けたらとおこがましくも思う限りです。
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